明日死んでしまってもいいから、今日を生きられる

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

最近は植物に寄ってカメラを撮るのが好きです。

そんな風に虫の目線になって世界を見ると、また新しい視点でものを見ることができる気がします。

つつじと道路

↑つつじの上から道路を見る

 

真剣な「生」を突き付けられるのは少し苦しい

スティーブジョブズの有名な言葉に「きょうの一日を人生最後の一日だと思って過ごしなさい」というのがあります。

 

つまりそれくらい真剣に生きよ、というような意味だと思いますがあれに少し違和感を感じることがあります。

 

何だか重いなと。そんなに激しくは生きれないし生きたくないなと思ってしまうからです。

 

続いていくから「生」は苦しい

こんなことを書いてしまうと不謹慎かもしれませんが、自分のなかで「死ぬこと」はある種の「許し」であるかのように感じるときがあります。

 

というのもそもそも様々な苦悩は人生が「続いてしまう」ことに由来するからだと思うからです。

 

 

失敗するのが怖いのは、失敗したきょうの次に「失敗してしまった自分」を背負っていかなければいけない明日があるから。

 

人に嫌われるのが辛いのは、嫌われた次の日以降も「嫌われてしまった自分」を見つめなければいけない明日があるから。

・・・のように思います。

 

 

もしそんな連続性がなく死んでしまうのあれば、そんなに悩むことはないのではないかと感じます。

 

失敗しようが、嫌われようがたいしたことはない。

だって明日には死んでしまって無になるのだから。
 

 

「死」は許しでもある気がする

まあ、実際そんなことはありえないわけですが、そういう意味で私は「死」にどこか許しの側面があるようにも感じています。
(もちろんこれはこれまで運よく健康的に過ごせたが故の、おごりもあるかもしれませんが)

 

真剣で誠実な「生」を押し付けられるよりも、少し諦めもはいった「死」の選択肢を与えられる方が、軽やかに今の自分を捨てて、新しいものへと挑戦していける気がする。

 

 

だからでもちょっと後ろ向きですがときには「明日死んでしまってもいい」と思ってもいい気がします。

 

「死」という言葉にはそんなマイナスばかりでなく解放感もあるのではないかと思います。

 

それでは!