島と雲

鏡である自分は決して傷つかない、ただ映すだけ

こんにちは。

 

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

今日はまた座禅を組みにお寺にいっていました。

海が近くにあるお寺なので、向かう前に浜辺で軽食をとろうと思っていたら、なんとトンビにハムカツをさらわれました。

 

完全に想定外のことなのでビックリです。
今度からは空にも気を配らねばなといい教訓になりました(-_-;)

 

 「鏡」である私はただ映すだけ

 

今日学んだことについて、書き留めておこうと思います。

 

「禅」については今後も精力的に続けていくので、できるだけ記事にしていこうと考えています。

 

ただ体験することが重要であり、自身も初学者なのでまさしく「如是我聞」(私はこう聞いたよ)という感じになってしまうかもしれませんが。

 

 

「意識」の仕組みについてのお話でした。

 

これは例えであるのですが、私のことを滝つぼの近くにある「鏡」と置き換えたとします。

 

意識とは次々と落ちては流れていく膨大な水(感覚が捉える情報や、思考)が、私という鏡に映るようなものであるらしいです。

 

それはものすごいスピードで移り変わっていくので、今映ったものも一瞬後には過去になって影も残らずに消えてしまいます。

 

 

なのにたった一瞬だけ映ったネガティブなものに、むやみに執着してしまうようなところが私たちにはあるそうです。

 

「あの人があんなこと言った」とか。

「失敗してしまった、これからどうなるだろう」とか。

 

けれどそれは膨大なもののなかの一つでしかない。
例えば心地よい風が肌を撫でるような感覚と同じでしかない。

 

 

たとえ誰かから批判されても、

もし自分のことをダメだと否定してしまっても、

 

それは単に束の間に「鏡」に映ったに過ぎない。

 

 

またどれほど汚いものが映ろうと、きれいなものが映ろうと、「鏡」そのものは決して傷つかない。

 

ただ変わらずにそこにあって、流れては現れるものをただ映すだけ。

 

 

だから本当の自分(鏡)はどんなことがあろうと傷つくことがない
(逆に言えば、どれほど誰かから褒められようと、自信に満ちようと、それが自分を磨くことにはならない) 

 

そんなお話でした。

 

 

それでは!