久々に地元に戻って感じたこと

こんにちは。

ハーブカウンセリングにお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

先月から千葉県の金谷に移住していたのですが、地元の青梅に帰省しました。
用事もあるので近いうちに戻ろうと思いつつ、仕事におされて延期になっていたので帰れて良かったです。

 

フェリー経由で4時間くらいかけて自宅へ。
青梅もあいかわらず穏やかで住みやすいなと感じます。

 

そして久々に金谷を離れたら、いろいろと思うところがありました。

 

 

 

①同じ場所に居続けるとマンネリになる

金谷はとても良いところですが、ずっと同じ場所で同じ人に会って同じ仕事をしているとマンネリ化します。

知らず知らずのうちに何だかエネルギーが奪われていることに気づきませんでした。

 

 

やっぱり風通しは大事です。心地よい環境だからとそこに居続けると、変な依存心がわいたり人間関係のしこりのようなものを感じてしまう・・・。

週に一度くらいは金谷から離れて、いろんな場所で人と交流したいです。

 

 

②ハーブの仕事をしたい

金谷ではライターの仕事を多くしています。それが軌道に乗ったら好きなハーブの仕事をしようとしていましたが、何だか欲求不満がたまっていたようです。

 

もともとお金を稼いだり数字を追うこと自体にあまり興味がないので、そればかりだと疲れてしまう・・・。

 

忙しいからと先延ばしにせずに、金谷に戻ったらハーブの仕事も復活させます。

 

たぶんそっちを頑張るからこそ、ライターでも精力的に活動できるはずです。

 

 

③強く生きねば

わりかし楽しい日々を過ごしていたからか、自分のなかでハングリー精神がちょっと抜けていました。

 

周りの人や環境が自分を変えてくれるという甘えが出てきていました。

 

自分の人生を切り拓くという気概をもって、明日から過ごしていきます。

 

 

気分はミスチルの「I`ll be」

 

 

久々に自宅の庭を手入れしながら

 

 

 

看板の設置

金谷の山に看板を立てる

こんにちは。

ハーブカウンセリングのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

夏も本格的になってきました。

山は近いので朝晩は涼しいですが、昼間は暑くて外を歩く気力がなくなってきます(-_-;)

 

金谷に移住して一ヶ月半ほどが経ちました。

フリーランスとして日々の仕事に追われつつも、楽しく穏やかな日々を過ごしています。

 

 

人生で初めて看板を立てる

看板の設置

 

この金谷にきてからいろいろやりましたが、昨日は一番意味のあることをしました。

看板の設置です。

 

今お世話になっているシェアハウスのが金谷の町おこしに関わっているのですが、そのお手伝いで看板を立てるボランティアをしました。

 

「鋸山」という金谷では有名で、たくさんの外国の方も訪れる山があるのですが、その中腹に「観月台」という場所があります。そに穴を掘って設置しました。

 

看板の設置

 

完全に手作業です。文明の利器などありませんw

しかも土は表層だけで、すぐ下からは石の層になります。

 

柔らかいので鉄の棒などで砕けますが、シャベルの類ははじかれます。

もはや穴を掘るというよりも、削岩でした・・・。

 

看板の設置

 

3人で交代しながらひたすら掘りました。

途中で手の皮がむけるというアクシデントがありつつも、掘ること1時間くらい。

ようやく40cm近い穴ができ、看板を立てられました。

 

看板の設置

 

実際の画像です。

疲れました・・・。

 

 

看板という爪痕を世界に残す

 

生まれて始めて看板なるものを立てたのですが、なかなか良い気分でした。

これが何十年と残ってこの地で誰かに見られたり、道しるべになるのかと思うと粋なことをしたなと感じます。

 

なんかこう充実感ていうのはささやかなもので、しかも案外手作りできるんだなと思いました。

 

とりあえず来月あたりの台風で倒れないようにと祈ってます。

 

島と雲

体を通過する「距離」の分だけ心が自由になる

こんにちは。

 

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

先日ブログでも書きましたが「田舎フリーランス養成講座」への参加があと3日後に迫ってきました。

 

持ち物的にも、気持ち的にも準備を進めていますが今からどうなるか楽しみです。

 

 

やりたいことはいろいろありますが、まずは変に取り繕わずに素の自分で臨みたいなと思っています。

 

 

「移動する」ことが好き


私は旅が好きです。

 

もっと正確に言うと「移動する」ことが好きなのだと思います。

 

 

旅行中に一番楽しいなと思う時は、目的地に向かっているときです。

 

その先に何があるのだろうかとわくわくしながら、知らない景色が目の前を通過していくと生まれ変わっていくような気分になります。

 

 

行った先で何をするかは実はそこまで興味がなかったりします。

 

実際に去年の夏は青春18きっぷで北海道の宗谷岬まで行ったのですが、10泊の日程の内ほとんどが移動時間でした。ただローカル列車でぐるぐるしていただけという、無意味な旅でした。

 

けれどとても楽しかったです。

 

 

 人生においてもたどり着く場所よりも、そこまでの移動が大事

それはわりと「人生」でも同じように感じています。

 

その時々で何らかの目標を見つけて、ときには押し付けられて、決めさせられて生きていきますが、私は正直その結果どこにたどり着くかはどこでもいいと思っています。

 

 

その道中が楽しければいい。そこ何らかの意味はなくてもいい。

 

 

だから何かをやっているときに誰かから「何がしたいの?」、「結局どうなりたいの?」、「それに何の意味があるの?」と聞かれるとなかなか言葉にできずに困ってしまうことがあります。

 

 

自分のなかの衝動に突き動かされているだけでしかない。。。というのが本音ですがそういうわけにもいかないときがあるので、苦労しながら言葉で表現したりします。

 

 体を通過する「距離」の分だけ心が自由になる

けれど根っこにあるのはそんな本能のエネルギーの塊のような物で、それに身を任せるとガンガン体は動いていく。

 

 

その結果見えてくるいろんな景色が心をのびやかにしていくという点では、旅と共通するのかなと思います。

 

 

来週から始まる「田舎フリーランス養成講座」でも、新しいものがみえることを期待しています。

 

 

それでは!

 

 

アジサイ

園芸をすることで育つのは、植物たちでなく自分の心だと思う

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

アジサイ

 

紫陽花がもうそろそろ咲きそうです。

 

地植えだと本当に強くて、他の植物たちを圧倒するくらい元気に伸びています。

 

紫陽花はむかしクラッシックなもの以外にもいろんな品種改良が行われているらしく、花屋さんには「ダンスパーティー」のようなきらびやかな紫陽花が並んでいることも多いです。

 

 

紫陽花もおしゃれになったなと思います。

 

この他にも我が家にはいろんな植物たちがいます。

 

ざっと数えるとハーブ類が30鉢、観葉植物が10鉢、多肉植物系が5鉢、花たちが5鉢ほど。
それに地植えであれこれ育てているので、けっこう緑に場所をとられてしまっているなと感じます。
もちろん好きだから育てているのですが。

 

多肉植物

 

これだけあるとお世話をする時間もそこそこかかります。

 

シーズンにもよりますが、夏場などは毎日水をやらないと枯れてしまうので気をつけないといけません。

 

 

まあ正直なところぼちぼち手間ではあるんですが、それがしんどいとは全く思いません。

 

むしろ植物たちの世話をすることで、自身がチューニングされていくように感じます。

 

 

忙しく流れていく日々の中でも、育っていく様子を見ながら傷んだ葉っぱを取って、水をやって、ときには植え替えてという作業をすると心が静まっていきます。

 

たぶん植物を見たり、育てたりということはそれだけ人の精神に訴えるものがあるんですね。

 

 

そんな感動が自分の原点であると感じます。

 

 

これを応用したものが「園芸療法」というものに繋がっていくと思うのですが、ゆくゆくはそちらの方面にも活動を伸ばしていきたいと思っています。

 

それでは!

島と雲

心の曇りを拭ってくれる存在


こんにちは。

 

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

 

今日は鎌倉のお寺で座禅を組んでいました。

 

やることはただ座って感覚を観察するだけですが、とても良いです。

 

 

普段の生活ではジャンクで過多な情報の中に埋もれているので、それらを断って自分の内面に向き合う時間は貴重だなと思います。

 

こればかりはいくら説明するよりも体験するしかないのですが、ぜひ多くの方にやってもらいたいです。

 

 

 心の曇りを拭ってくれる存在

内面を明晰にしていくためには、こうやって禅を組むなどもいいと思いますが、誰といっしょにいるかも大切だと感じます。

 

 

人と人は鏡映しなどとも言いますが、良くも悪くも人は人の影響を受けます。

 

 

都合の良いことを言ってくれるとは別の、いっしょにいることでわくわくしたり、エネルギーをもらえるような人といっしょにいる。

 

 

そんな人を図々しくこちらから「選んでいく」ことが、心の曇りを拭って気持ちよく生きれることにつながっていくのではないかなと思います。

 

 

それでは!

 

モヤモヤしているくらいでちょうどいい

こんにちは。


オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

 

 

キイチゴがあちこちに実る時期になりました。

 

 

子どもの頃は本当にたくさん食べたものです(遠い目)。
いま食べても変わらずおいしいです。まれにアリが入っているのでそれだけ注意。

 

 あたたかく幸福な一日

今日はとても天気が良く、真昼時は暑さが肌を焼くくらいでした。

春が終わっていくのだなと思います。

 

 

そんなエネルギーに満ちた陽気にあてられたからか、今日は一日中ぼんやりとした多幸感につつまれていました。

 

何か特別なことをしているわけではないけれど、どこか懐かしいような、無邪気な感覚で過ごしたなと思います。

 

 

そういう時はとてもいいなと思います。

 

とても感覚がクリアです。

 

 

あまり考えているわけではないけれど、するべきことがわかって進んでいっているような。
だいたいそういうときはうまくことが運びます。

 

 

 モヤモヤしているくらでもいい

ですが、いつもいつもこうではありません。

 

というよりも「モヤモヤ」した感覚を抱えているときのほうが多いです。
「これでいのだろうか?」とか、「これからどうしようか」とか。

 

 

こうすれば正解というわかりやすいことは多くないので、いつもけっこう迷っています。

 

 

でもこの「モヤモヤ」する感覚もそれはそれでいいのかな、と最近思います。

 

 

「〇〇にするんだ!」と確定させることはすっきりするんですが、どこか問題から目を逸らしてしまうような行動でもある気がします。

 

そもそもこのちょっと嫌な感じは、これまでに触れずにいたことに踏み込んだからこそ感じることだと思います。だからたぶん意味があるのかなと。

 

 

この「モヤモヤ」感も成長痛と考えて、それと付き合いながらあれこれ試してみたいです。

 

 

・・・いつも以上に抽象的な文章になってしまいました(-_-;)
うーん、これも陽気のせいでしょうか。

 

 

それでは!

 

「誰か」のことを意識するのはもっと先でいいのではないか

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

 

昨日「心に毘沙門天を常駐させる」などと言ういかついタイトルで、自分をあえて「弱い」存在にすることでいろんなことから逃げてしまうみたいな話を書いたのですが、心理学的にはよくあることみたいです。

 

 

「セルフ・ハンディキャッピング」という心理のようです。

 

 

こうやって客観的に見せられると、恥ずかしいなと思います。
いやこれから乗り越えていくから・・・。

 

 

 「続くこと」の芯には「自分」がいる

最近感じることに「継続できることは自分本位」というものがあります。

 

 

それほど飽きっぽい方ではないのですが、これは続けたいと思っても続けられないこともままあります。

 

逆に何となく続いてしまうこともある。

 

 

その差は何だと考えるとシンプルに「自分から始めて、自分のためにやっていること」でないかと思います。

 

 

あまのじゃくな奴だと思われるかもしれませんが、人からやるように指示されたことは正しいのだろうなと思っても長続きしません。

 

あくまで自分主導で思いついてやってみたことは、些細なことでも継続しています。

 

 

そしてそれ自体が自分の楽しみになることです。

 

 

例外も多いですが「誰かのため」だけだと一過性はあっても、ずっとやり続けるのはしんどくなってきます。

 

また「お金」のためとか、「誰かに好かれる」ため、だとそれもちょっと弱くなります。

そういう間接的な金銭とか、評価を介さずにも楽しいことならもっと継続しやすいです。

 

 

 「誰か」のことを意識するのはもっと先でいいのではないか

・・・と書いてしまうと自己中心的にも見えますが、最初はそれでいいと思っています。

 

 

とにかく「継続」をしていくことが大切で、ひたすら積み上げてみるとだんだん新しいものが見えてきたり、発展したりします。

 

 

そうしてから人に分かち合っていくような視点に立てればいいのかなと。

 

 

仕事でもなんでも「誰かのために貢献」することが必要で、それが喜びだったりもしますが、初めからそれを目指すとなかなかしんどいなと思います。

 

 

まずは自分でそれを楽しんでみる。そこから始められればと思います。

 

 

それでは!

 

心に毘沙門天を常駐させる

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

 

すっかり日が長くなったなと思います。

 

まだ明るいからと油断していると、もう18時を過ぎていたりして驚くことがあります。

 

 

考えてみればもう一か月後くらいは「夏至」です。
明るい時間が長い日々が続くんだなと思うと、なんとなくお得な感じがします。

 

 

 昨年に立てた今年の抱負

 

昨年の大みそかにお店のホームページの方に2017年の抱負を書きました。
http://hodakaherb.xyz/blog_life/

 
一文で表すと今年の私のスローガンは 「強く」生きる です。

 

 

もう少し具体的に言うと、

 

・頭の中でなく、いま目の前の世界に命を使う
・観客ではなくプレイヤーとしてステージに立つ
・弱いふりをやめて、“強く”在る

 

ということになります。

 

 

 心に毘沙門天を常駐させる


一年の3分の1くらいを過ぎて振り返ると、なかなか充実した日々をおくっているなと思います。

 

 

まがりなりにも仕事を立ち上げて、試行錯誤するなかでやっていくのはたいへんなこともありましたが、予想していたよりは楽しいものでした。

 

 

ただ繰り返す日々の中でときおり自分のなかの「弱さ」が顔を出すときがあります。

 

「どうせ自分なんか・・・」、「きっとうまくいかないし・・・」、「人から好かれることなんてないんだろうな・・・」、などなど。

 

 

それもある意味自然な反応だったりするので「悪い!」と決めつけなくてもいいかもしれませんが、その思い込みが自分を縛ってしまうようにも感じます。

 

 

自分を「弱い」としてしまうことは虚しいですが、自分を「強い」とするよりも楽なところがあります。

 

「弱い」自分でいれば、あたらしい仕事や出会いに飛び込んで、もまれなくても済みます。
やらなくてもいい言い訳を作れるので。

 

 

でも「強い」とするならばそうはいかないです。
言い訳をこしらえられないのでやっていくしかなくなる。
すると失敗してたり、恥をかいたり、嫌なことに遭遇するリスクも生じてくる。

 

 

それがしんどいから自分に「お前は弱い」という呪いをかけ縛っていたのですが、今年はそれを振り払って前に進もうと決めました。

 

ただスローガンを掲げたからって、すぐに「強い」自分になれるわけではやはりありません。

 

 

小さな日々の暮らしの中で、少しずつ挑戦をして漆を重ねるように変えていくしかないなと思います。

 

「強き」自分を常に心に。戦いの神、毘沙門天を宿すように。

 

 

そんな風に日々を過ごしていきたいと思う今日この頃です。

 

 

それでは!

 

 

 

うまく語れなくても次は見返そうと思わず、その感情をエネルギーに変える

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。

ホダカです。

 

鉄塔のある風景が好きです。

 

むかしから何となく惹かれる所があって、こんな景色を見るとどことなく郷愁感をおぼえます。

 

そんな写真集とかあったら買ってしまうかもしれません。

 

 

 立て板に水としゃべれない

 私はそこまで弁が立つほうではありません。

 

 

用意していれば別ですが、急に人から意見や考えを述べよと突き付けられるとうまく返せなかったりもします。

 

そんなわけで時おり悔しい思いや、劣等感を感じたりします。

 

 

以前はそれをどうにかしようと躍起になって会話術を調べたり、ディスカッションに慣れようとしていたときがあるのですが、なかなかうまくいきませんでした。

 

生来のものもあるので、なかなか変えられないなと思います。

 

 

 話せないコンプレックスに縛られるよりも、次の行動をする

ですが最近はある程度割り切って考えるようになってきました。

 

口頭でのやり取りでは負けるしかないかなと。
(・・・いや別に常に論争をふっかけられているわけではないのですが)

 

 

そもそも話術が巧みでありたいと思うのも、それが相手への配慮だったりもしますが、ただの見栄であったりもします。

 

それよりもやり続けることの方を自分は大事にしようと思い始めてきました。
「言葉」拙ない自分はその分「行動」でカバーしようかなと。

 

 

うまく語れなくても、ときにはバカにされてもやり続けてみる。

 

そのときの切ない感情もできるだけ感じきって、力に変えて進んでいきたいと日々思っています。

 

 

それでは!