楽しさを企みあう

 こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

今日はハーブの勉強会に参加しました。

下はそこでいただいた「ジャーマンカモミール」です。
・・・ちょっと萎れかけていて良い写真ではないです。すいません。

カモミール

とても良い香りがします。

まずは水出しでお茶にしてみました。

カモミールティー

カモミールについてはまた明日詳しく書こうと思います。

 

アニメ飯!


アニメ飯

突然ですがこの写真は「アニメ飯」です。

料理名は「子羊背肉のリンゴソースがけ」といいます。

先日企画したイベントで共催者の友人が作ってくれたものです。
https://www.facebook.com/events/302328056848266/

 

JOJOの奇妙な冒険という漫画にでてきた架空の料理を現実化したもので、見た目も味もとても良かったです。
(原作を読んではいないのですが・・・)

 

無事に終えることができ成功ではあったのですが、、、まだまだ改良の余地はたくさんあるなと友人といろいろ反省しました。

「ハーブソルトを使ってもっとハーブにコンセプトを寄せようか」とか、「集客や告知はどうしようか」とか、次回に向けていろいろ企んでいます。

 

そんな共犯者みたいな友人ができたことが、何よりもイベントをやった収穫かなと思いました。

小さな楽しみを自分の力で「手作り」していきたいなと思う今日この頃です。

それでは!

 

袖触れ合うだけでも楽しい

こんにちは。

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IMG_20170507_180654

アカバナユウゲショウという野草です。自宅近くに咲いていました。

淡い赤色がきれいです。

 

偶然の再会

2週間ほど前に本当に偶然なのですが、小学生の頃の同級生と再会しました。

卒業以来会っていないので、記憶が正しければ18年ぶりくらい間が空いたことになります。

 

それでも面影があったようで、向こうは自分を判別してくれました。こちらは相手に名乗られるまで思い出せませんでした、、、申し訳ない。

 

ちょっと落ち着いて話せる状況でなかったので、いくらか話して連絡先を交換して別れました。

今度また会って飲もうかとの話にもなっていますが、私の方は今度拠点を移そうかとか考えていて落ち着かないので実施できるかは未定です。

でも、それでもいいのかなとも思っています。

 

一瞬の関係の繋がりを楽しむ

などと書いてしまうとやや冷めているような印象を与えるかもしれませんが、私の中ではそうでもありません。

 

すごく久しぶりに会って、お互いの近況とか人生の軌跡とかを話して、生きているのを確かめ合ってさらりと離れる。
そんな一瞬の関係もとても悪くないと思います。

 

昔は変に潔癖な所があったのか、「深くない人付き合いは意味がない。むしろ失敗だ」みたいに考えていた頃があります。

 

ですが、誰とでもどんな時でも深く付き合うというのはなかなかに難しいですし、不自然に無理してしまうような感覚があります。

 

というような考えになってからは、人との関係における時間の長さや深さ、誰かと比べてどうだとかが前より気にならなくなりました。

 

ここで偶然出会って、それでも仲良く話して、いっしょに何かして、終わったらさらりと別れてあとは縁任せ。

 

そんな風通しの良い人との関係も、楽しんでいけるようになりたいです。

それでは!

明日死んでしまってもいいから、今日を生きられる

こんにちは。

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最近は植物に寄ってカメラを撮るのが好きです。

そんな風に虫の目線になって世界を見ると、また新しい視点でものを見ることができる気がします。

つつじと道路

↑つつじの上から道路を見る

 

真剣な「生」を突き付けられるのは少し苦しい

スティーブジョブズの有名な言葉に「きょうの一日を人生最後の一日だと思って過ごしなさい」というのがあります。

 

つまりそれくらい真剣に生きよ、というような意味だと思いますがあれに少し違和感を感じることがあります。

 

何だか重いなと。そんなに激しくは生きれないし生きたくないなと思ってしまうからです。

 

続いていくから「生」は苦しい

こんなことを書いてしまうと不謹慎かもしれませんが、自分のなかで「死ぬこと」はある種の「許し」であるかのように感じるときがあります。

 

というのもそもそも様々な苦悩は人生が「続いてしまう」ことに由来するからだと思うからです。

 

 

失敗するのが怖いのは、失敗したきょうの次に「失敗してしまった自分」を背負っていかなければいけない明日があるから。

 

人に嫌われるのが辛いのは、嫌われた次の日以降も「嫌われてしまった自分」を見つめなければいけない明日があるから。

・・・のように思います。

 

 

もしそんな連続性がなく死んでしまうのあれば、そんなに悩むことはないのではないかと感じます。

 

失敗しようが、嫌われようがたいしたことはない。

だって明日には死んでしまって無になるのだから。
 

 

「死」は許しでもある気がする

まあ、実際そんなことはありえないわけですが、そういう意味で私は「死」にどこか許しの側面があるようにも感じています。
(もちろんこれはこれまで運よく健康的に過ごせたが故の、おごりもあるかもしれませんが)

 

真剣で誠実な「生」を押し付けられるよりも、少し諦めもはいった「死」の選択肢を与えられる方が、軽やかに今の自分を捨てて、新しいものへと挑戦していける気がする。

 

 

だからでもちょっと後ろ向きですがときには「明日死んでしまってもいい」と思ってもいい気がします。

 

「死」という言葉にはそんなマイナスばかりでなく解放感もあるのではないかと思います。

 

それでは!

桜は下を向いて咲く

こんにちは。

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桜もすっかり咲いて、散り終えてしばらく経ちます。

不思議なもので桜って花が咲いてないと、すっかり注目されずに他の木に紛れてしまうように思います。

 

桜
↑は満開時の桜

花の咲いているときは「花よ花よ」と愛でられるのに、花が散ると何とも思われなくなる。

 

桜自体はずっとそこにあり続けるのに。

その一年のうちでもたった2週間ほどの間でも毎年花を咲かせるのは健気だなと思います。

・・・別に人間のために咲いてくれようとしているわけではないのですが。

 

ヒメツルソバとサクラ

 

桜は下を向いて咲く

桜についての事柄で、ひとつ印象に残っていることがあります。

会社勤めをしているときの上司に教えてもらったことです。

 

そのとき上司に問われました。

「桜はどうしてこんなに人に愛されるか知ってるか?」、と。

 

愛される理由をそこまで考えたことはなく、ただ豪華絢爛な花が咲くからだと思っていました。

上司は言いました。

 

「桜は木につく花の中で唯一下を向けて咲くんだ。他の花は太陽に向けて咲くが、桜だけは下に向けて花を咲かす。人に向けて顔を向けてくれる。だから愛されるんだ」

という短いやり取りなのですが、とても印象に残っています。

 

桜

その真偽を確かめたわけではないので、ただの冗談かもしれませんがなかなかに味のある言い回しだなと思いました。

 
日本人にとって「花」といえば「桜」というくらい文化を背負っているかのような花ですが、はなやかな部分でなくひかえめに、淡々と同じことをやり続ける。

 

そんなところに人の心を打つところがあるのかなとも感じます。

なんとなく人が集まりたくなるような、そんな風な仕事をしていきたいと思っています。

 

それでは!

先のわからないなかを進む

こんにちは。

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ゴールデンウィークもあと少しで終わりです。穏やかな一日でした。

アカバナ

 

連休終わりでなんとなく物寂しさを感じます。

今日はそんな感傷に浸りつつ、思いつくままに書いてみようかと思います。

 

ちなみに普段はそこそこ文章を練る方で、ある程度推敲を経たものをブログに上げています(これでも)。

 

見えない未来への不安

フリーランスを始めたことで周囲から「不安はないの?」と聞かれたりしますが、もちろんあります。

これからどうなるかは確保されていない身の上です。

 

もちろん努力してはいますが、3か月後には路頭に迷っているという可能性もあります。

半年後には何をしているのか。自分の人生はどこに流れていくのか。

いやそれは誰でも同じではあるのですが。

 

例えサラリーマンでも会社が倒産するとか、事故に合うとか、家族が病気になるなど突発的なことはありえます。

ただ勤め人時代よりもレールがない感じは強く、霧の中を進んでいるなと思います。

野良猫

 

見えない未来で今を塗りつぶそうとする

あれこれと試していると、喜んでもらえることもありますが、反対に眉をひそめられたりすることもあります。

 

そういう時は理性ではそれを反省と次への糧にしようと思うのですが、やはり悲しかったり悔しかったりします。

 

 

口下手な自分はうまく伝えられなかったり、実績のなさから甘んじて耐えるしかなくて、何をやっているのだろうかと自問するときもあります。

 

そんなときは「次こそは」と考えます。

 

この不安も苦しさも将来の幸福で拭ってやろうと、そんな方向に思考が流れます。

 

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先がわからないのは当たり前だから、目の前の景色を楽しむ

でもそんな未来の自分への期待ばかりを膨らませていると、ときに空しくなります。

 

将来立派になって、稼いで、人から好かれるようになって、、、

そうやって向かった先に何があるのだろうか。

 

こうやって夕日に染まる雲を眺めているだけでも十分に「幸福」であるのに。

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何だか自分で目の前にニンジンをぶらさげて走る滑稽な馬のようです。

「一寸先は闇がいい」

「未来が確定してしまう方が辛い」

どちらも知り合いが言っていた言葉です。

 

そんな風に先のわからなさを嘆くよりも、目の前を楽しむ生き方をしたいです。

 

それでは!

 

どのみち好きなようにしか生きられないのだから、あきらめるしかない

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

今日は少し動いたら暑さすら感じるような一日でした。

でも毎年ゴールデンウィークに差し掛かったあたりから、春が一気に遠のくのを感じます。

いい時期は短いのが少し寂しいです。

 

藤と月

野生の藤です。見事に咲いていました。夕月もあいまって風情があります。

 

オレガノ

オレガノ。これは観賞用のタイプです。

 

他人は自分の手の内にない

仕事をはじめてよく感じるのですが、自分のやることや自分自身が周囲からどう思われるかはコントロールできません。

 

・・・いや改めて述べるまでもなく、当たり前のことなのですが。

私がフリーランスをやりますと宣言していくつか仕事をしていくなかで、新しい人との関係ができる一方で、切れたり薄くなってしまった(ように感じる)繋がりもあります。

 

ああ、この人とは思いがけず仲良くなったな。でもあの人からはヒンシュクを買ったのか距離を取られてしまった気がするな。

どの人とどうなるかは、やる前では想像もできなかったです(もちろんだいたいの人とは、そんなに劇的に関係が変わったりはしていません)。

 

好きなようにしか生きれない

いろんな人がいろんな反応をします。

ときに説かれる「正しさ」や「常識」は本当に様々だなと思います。

 

こうしたらあの人はこう思うんじゃないかなとか、こうするときはこうするのが常識なんじゃないかとか、もちろん自分も含めてみんないろんな「思い込み」に縛られて生きているのかなと感じることが多いです。

 

でもいくら考えてもこれが「正解」っていうのはない。

だからまあ、好きにいきればいいんじゃないかなとわりと呑気に思っています。

 

・・・というよりぐだぐだ理由付けをしようが人は動物的に、猫がひだまりを求めるように、好きなへ向かって生きることしかできない。

 

だから前向きに「あきらめる」しかない。

 

そういうものでないかなと思うGWの今日この頃です。

 

それでは!

 

自分は特別でないと知るから、楽しく生きようと思う

こんにちは

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

とある事情で今日は朝から晩まで屋内にいました。

散歩したり自宅の植物を世話したりが日課なので、緑の見えない空間にずっと居続けるとすこし息が詰まりそうな気がします(-_-;)

 

自分は世間からぜんぜん関心を寄せられていない

さて、ちょっとネガティブな見出しですが、今日は「自分は特別ではないんだな」ということについて考えていました。

 

ちょっと私的なことになってしまうんですが、先日イベントを企画しましてそれがあと2日後に迫っています。

5月3日 「創作料理とハーブティーの会 at 中野」
https://www.facebook.com/events/302328056848266/

 

飲み会の幹事などならときおりやったりしますが、こう一からイベントをプロデュースしてみたいなことを自主的にやるのは初めてです。

 

小さめのキャパなので人もたぶん集められるだろうと思っていましたが、まあ無理でしたw

5/1(月)の夜の時点で確定しているのが0名(もしかしたら行けるかも2名)

 

GWの初日というのも悪かったかもしれませんが、ここまでとは・・・。

できる限りいろんなところで声をかけてみたのですが、なかなか難しいなと痛感しました。

 

小さな自分が清々しくもある

そして今フリーランスで行っている仕事に関してもそうです。

こちらはすぐには上手くいくまいと覚悟していましたが、やはり世間は厳しいなと思います。

 

やればやるほど、自分がいかに特別でなくて平凡な人間なのか、そして注目や興味をもたれていないかを実感します。

(それでも始めたことに関しては、全く悔いはありませんが)

 

でもだからといって、へこむだけでもありません。

むしろそんなちっぽけな自分を不思議と清々しく感じたりもします。

 

特別でない自分だからこそ、面白く生きよう


それが「何故か?」と言われると答えるのが難しいのですが、たぶん自分の人生の手綱を握っている感覚があるからかと思います。

 

ズバッと自分のスケールの小ささを指摘されると、ちょっと嫌だけど自分の輪郭がくっきりするような感じがします。その感じは悪くないです。

 

そして逆にエネルギーが湧いてくるように思います。

もっと面白く生きようと、人が面白そうと寄ってきてくれるような生き方を自分の人生で実験しようという気力がでてきます。

 

特別でない自分だからこそ、面白く生きよう。

たぶんそこから全てが始まっていくような、そんな気がしています。

 

それでは!

 

 

”why”で止まる人と、”how”で進む人

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

 

庭にネモフィラが咲いているのですが、それにアブが来ていました。

アブとネモフィラ

 

植物だけでなく虫も元気になってきて、どんどん季節は移っていっているなと思います。

 

”why”型の反応をする人と、”how”型の反応をする人

駆け出しながらもフリーランスで仕事を始めたので、「何をしているのか?」を人に話すことが多くなってきました。

そして話をしたとき

 

  • 「何でそれをやってるんですか?」と返してくる‘‘why型’’の人と、
  • 「それってこんな風にしたら面白いですね」と返してくる‘‘how型’’の人がいる


と最近感じます。

この‘‘why型’’‘‘how型’’は血液型みたいに明確に別れるわけでなくバランスの問題です。

 

ただ話していると「この人はこっちが強いな」みたいなことを感じます。

それについてやや偏見が混じりながらも、思うことについて書こうと思います。

 

”why”型の人と、”how”型の人の印象

‘‘how型’’の人はわりとマイペースで自由人であまり人の話を聞かなくて、いい意味でちょっとアホな人が多いと感じます。

 

フリーランスやあまり堅気な仕事をしてない人に多い気がします。

ロジカルに考えるよりも面白さを追うような、楽天的な印象があります。


‘‘how型’’
の人に仕事の話をすると「理由」でなくて「方法」の話に展開します。

その仕事がどうやったら実になるのか?とか話します。

 

そのせいか楽しくて、いろんなアイデアをもらったり自信がついたりすることが多いです。

たまについていけなくなることもありますが…。

 

‘‘why型’’の人は現実的でまわりとの調和をよく考えていて、賢いのだけどちょっとシニカル(冷笑的)という感じを受けます。

 

会社勤めの人や公務員に多い気がします。

ちゃんと仕事する意味とかを考えていて、責任感もすごく強いですがどこか消極的な感じもあります。

 

‘‘why型’’の人に仕事の話をするとまず「理由」の話になることが多いです。

「どうして始めたのか?」、「なぜあなたがやるのか?」、「その意義は?」とかなり突っ込んで聞かれます。

 

考慮していなかったリスクや計画の甘さに気づくことがあり、ためになるのですがちょっとへこむことも正直あります。

 

ときおり”why”型が強すぎる人に心を縛られてしまう

たぶん両方の型の意見をバランスよく取り入れながら…というのがいいのだろうと思います。

正直に言えば“how型”の人と話している方が楽しいのですが、あんまりイケイケで進めるのも怖い気がするので・・・。

…が、ときおり‘‘why型’’の感じがすごく強い人がいてその時は注意するようにしています。

 

正論の裏に、どこかネガティブなものを絡み付けられるように感じるからです。

ちょっと口汚く言ってしまえば‘‘why型’’が強すぎる人のなかには、臆病でリスクがとれないために「行動」を放棄して、そのためのやらない言い訳を様々な「理由」で固めて籠城している感じの人がたまにいます。

 

そういう人の前で「やっていること」の話をするとややこじれます。

そういう人は自らは行動しない一方で行動を起こしている人を羨んでいるので、巧みに「理由」をかぶせてこちらの足を引っ張ろうとしてくる…ようにしか思えないときがあります。

 

もっと言えば目の前の人が自分の鎧である「理由」を壊してしまうのが怖いのかもしれない。

無理にその理屈のやりとりに付き合っていると、不毛にモチベーションを削られてしまう気がします。

 

そのためちょっと悔しくもありますが、‘‘why型’’の人に質問攻めをくらったときはさっと離れるようにしています。

 

「理由」を完璧に構築するより、「行動」で試していきたい

一方的な偏見に囚われたり、人からのアドバイスを突っぱねて独善的にならないようにはしたいと心がけています。

 

けれど私は「行動」のなかでいろいろ試していきたいと思う派なので、あまり「理由」作りに躍起になって足を止めたくはないです(そもそもたいていの理由は後付けだと思う)。

 

そのためにも時には「何でやるの?」という言葉を振り払い、「理由はないけどとりあえずやってみる」という選択肢を採ってもいいんじゃないかと思っています。

 

それでは!

 

意識とか精神はまず変わらないから、体や習慣を変えるしかない

こんにちは。

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モッコウバラが咲きました。

モッコウバラ

先日までつぼみだったのであっという間ですね。

 

モッコウバラつぼみ

とにかくたくさん華やかに咲きます。

2週間ほどですが散る前に愛でたいです。

 

どうにも落ち着かないときは寝てしまう

今日は午前中にやることがあったのですが、午後に予定はなく何をしようかと悩みました。

「あれもやらなきゃな、これもやらなきゃな」ということはたくさんあったのですが、どうにも心が焦っていて忙しなく、体も疲れている感じでしたので・・・思い切って寝ました。

 

3時間くらいですね。

でも起きてみるとスッキリです。休息は大事だなと思いました。

 

意識とか精神はまず変わらないから、体や習慣を変えるしかない

とくに物事がうまくいっていないとき、なにかこう「精神的」なことを変化させようとしてしまうことがあります。

 

例えばこう「モチベーションをあげる」とか、「気持ちを切り替える」とか。
本屋などに行っても自己啓発本は必ず並んでいて「意識を変える」、「心を鍛える」みたいな内容のことがたくさん書いてあります。

 

・・・しかしそういったメンタル的なものってなかなかコントロールできないよなと思ってしまいます。
私の意思の弱さのせいかもしれませんが(-_-;)

 

でもそういったことよりも、「身体的」なことのほうが重要なのではないかと最近思っています。

例えば「規則正しい睡眠サイクル」とか、「健康的な食生活と運動」とか。

 

一見地味ですが、人間にコントロールできるのってそちら側の部分だけかと思っています。

健全な体と生活習慣はベースなので、まずはそれを整える。

それさえ十分であればあとは勝手に心が面白い方向へ導いてくれる。そんな風に思っています。

 

それでは!

 

自分を深く分析するよりも、視点を変える

こんにちは。

オーダーメイドハーブのお店「さなぎハーブ」を運営しています。ホダカです。

この土日は「アースデイ東京」ですね。

 

毎年足を運んでいるのですが、なぜかいつも天気悪かったり寒い印象があります(-_-;)

とはいえ日曜日はよく晴れそうで良かったです!

 

今日は「自己分析」について最近感じることを書こうと思います。

 

自己理解は本当に大事なのだろうか?

さいきん周囲で自己分析というか「自分とは何者であるのか?」、をかなり深いところまで掘り下げようとしている方が多いように感じます。

 

私も特に就職活動をしていた学生時代はとても切実に「自己分析」をしていましたが、それからしばらく経つ今、自分を探究していくことにわずかな違和感を感じることがあります。

 

以前は好きなこととか長所短所とかを深く掘り下げて、自分を「理解」しないと楽しい人生がおくれない、と思っていました。

 

「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」、ではないですがおそらく自己理解がすべてのベースにありそこから組み立てていくのが当然だろうと思っていました。

 

たけど最近そうでもない気がしてきました。

 

自己分析をしてなさそうだけど楽しそうな人たちもいる

そう思うようになった理由に、「ホームレスで家を持たずに、自分の一日を50円で売る」とか面白い生き方をしている人との遭遇などが影響していると思います。

 

そういう人たちって私の目から見ると「自分をよく理解したうえで行動している」というような感じではないんですよね。

 

むしろ自分の内側にはあまり目を向けず、混沌とさせたままにしているように感じる。

 

けれど本当に楽しく生きている(ように見える)。

そんな人達と話をするなかで、必死に自分を掘り下げているが少し滑稽に感じたりしました。

 

自己理解よりも人生というゲームを楽しむ

おそらく自分を理解しようとする試みは大事なのだと思います。


けれどそのあたりの言語化とか考察とか、そういう「自我」にこだわりすぎると、逆に迷宮入りするように感じてしまいます。

 

ほどほどで止めてあとは行動なのかなと。

このあたりの価値観は様々かもしれませんが、私は人間なんてお互いそんなに違いはないものではないものと思っています。

 

9割くらいは同じようなことで楽しみ、悩み、過ごしている。
だからお互いに共感もできる。

 

ちょっと極端に言ってしまえば自分なんて人生ゲームの「駒」みたいなもので、それがどんな特徴があるとか、誰かとどんな違いがあるとかたいして深く考える必要はないと思っています。

 

だから大事なことは自分という「駒」を深く分析することでなくて、それを使ってどう人生を楽しむかという「プレイヤー」の視点にたてるか。

 

そんな客観的な視点をもてるかが鍵だと考えています。

 

なかなかそんなに達観はできないですけどね(-_-;)
それでは!